インタヴュー



昭和53年5月18日の萩原健一


生まれは埼玉です。幼い頃から転々としましたけどね、神奈川県にいたり・・・・・・。ウチは昔はね魚屋さんをやってて、いまは肉屋さん。
 音楽よりも先に映画でしたよ、関心持ったのは―小学校の頃。ウチの家族が、だいたいが映画ファンだったんですよ。兄弟が、とても(年齢が)離れているんで、わりと大人の映画に連れていかれたんですね。長男はぼくと25歳離れてる―死んでしまったんですけどね。阪妻が好きでしたね、その兄貴は。シャイでいい奴だった。その兄貴が連れてってくれたのが多かったですね。姉さん達とも行きましたよ、エデンの東≠ニか・・・・・・。皆、好きだったんだなあ。ずいぶんウチでエデンの東≠フレコードが鳴り響いていたなあ。
 母親というのは、チャップリンから三波春夫まで好きだし。それも、チャップリンといっても、ただのドタバタ喜劇とは思ってなかったですしね。ま、なんだかんだそう思うと映画には、縁があったんだね。
 それでまあ、中学校になって、学校をよくサボって映画を観に行って・・・・・・まあ・・・・・・なるわけですよ(笑)ぼくはそのお・・・・・・ガキのくせに耳年増だったから、学校に行っても、同級生とあんまりセンスが合わなかったんだなあ。もちろん、学校でやってるものを否定してたわけでなくね。小学校の頃は、非常にデキが良かったし・・・・・・。学芸会とかそういうのに興味なかったね。ベーゴマとかには凝ってたけど、学芸会とか唄を歌うことは頭の中になかった。
いま思えば、役者になってね、ガキの頃観た古い映画のタイトルを思い出すと、趣味のいい映画だったんだなあと思うしね。兄貴達に感謝しないと。洋モノの方が多かったなあ。阪妻の再上映で無法松の一生≠ネんか観ていたから、その後のいろいろな役者さんの無法松♀マても、阪妻さんの方が頭に残っちゃうんだなあ。
 テディ・ボーイで、なんにもやることがなかったんだね。そいでテンプターズには、女の子がヴォーカルでいたんだけど、生理休暇かなんかで休んでたんだよ―多分、そんときにパーティがあって、ぼくが飛び入りで入った。・・・・・・高校のときかな・・・・・・定かでない―忘れた!・・・・・・高校やめてからか・・・・・・ま、いいじゃない、そんなこと。
 うん、アマチュアのときは、とっても楽しかった。プロになって自分達がしたい方向には進まなかったね。と云うのは、ぼくらのやろうとしている音楽を聴く人口が少なかったんじゃないか?だから、こっちも抵抗あったし・・・・・・明るいバンドじゃなかったですよ。ところが化粧させたり、音楽性を変えれば、世の中に売り出せるんじゃないかというプロダクションの姿勢があったし、ぼくらはまるでわからないし。そのうち自分のやりたい方向でないということに気付いたんだな。世の中に騒がれて、大きいコンサートやって感激はしたけど、次の日から怖いような・・・・・・自分の本質とは違うところで、評価された場合・・・・・・なんていうのかなあ・・・・・・わかります?
 時代の流れというか・・・・・・ダッコちゃんがもてはやされて、それから下火になって、それでもダッコちゃんと云ってるのは批判されて・・・・・・。グループ・サウンズもヒットして、ある時期になると流行遅れになる―そういうグループ・サウンズの中で本格的に、本質を忘れないでやった人はいま残っている。ぼくらのエポックみたいなものは、やはりグループ・サウンズにあったね。
 なるたけ後悔を少なくしたい。よくインタヴューで自分の若い頃の写真見てとか、レコード聴いてとか、恥ずかしくないか?という質問、受けるけど、そりゃ、テレ臭い時期もあった(笑)―でも、ある時期から、それをなくしたな。それはさ、それは、その時にしかない、いいものはあったろうと云うさ・・・・・・。いま、テンプターズの唄をあのまま歌えと云われても、それはできないよ―テレるんじゃなくてね。
 いまでもローリング・ストーンズが好きだね。ストーンズの精神をやりたかったんだけど、あの頃は、それがアップリケのシャツを着ることが、より銭が入ることになったり、そ、まわりの人がしてくれたり・・・・・・毒のないコブラみたいなもんで―自分でやってて(笑)。クイはないけどね。
 テンプターズ解散して、少ししてセッション・バンドを急拠作った。うん、PYGね。本心から、やり直そうと思って出たけど、スパイダース、テンプターズ、タイガースの寄せ集めって見られるしね・・・・・・。
 PYG作ったのは、もともとテンプターズはディスコのブルース・バンドだったわけで、やっぱりブルースを歌謡曲でやるわけにはいかないし(笑)、その穴をね埋めようとした。沢田研二もうわべだけでなく、中身はこうだと証明したかったわけでね。やらないより、やった方がいい、駄目なら、やめりゃいいってね。やめる頃には、またいつか逢えりゃいいって・・・・・・。やめるときに、お互い生きてりゃいつでも逢えるしなって気ありましたね。PYGの活動やめても、個人個人の活動をふくらましてみようというのでこうなったんだけど。
 PYGは反感も呼んだしね。ある種、ぼくと沢田がバンド組んだことで、随分、批判されたね。石はもちろん、腐ったトマトなんかもぶっけられたよ。お前らが打ち出だすものは、営利に結びつくものばかりやるとかね(笑)。ボンドの袋、持った奴がステージに上って、俺とジュリーやショーケンと、どっちがいい!なんて云ったのがいたりね。反感あったんだね。ただファンの方も最近は随分優しくなったからね、東大生が山口百恵を声援したりしてね(笑)
 沢田、井上堯之さん、大野克夫さんにしても実践で、やっぱり厭な思いしてるよ。随分最初の目算と狂ったみたいね。渡辺プロの社長さん、バンドの皆さん、バンドの皆さんを見守るスタッフ―三つの意見が統一できなくなったんだな。そのくせ音を出せば、凄い人がいただけに、歯痒かったんじゃないかなぁ、皆。
 うん、それから約束≠ノなるわけだけど、なんていうか、こういう世界やんなっちゃってさ、やめて助監督かなんかになろうかってね、シナリオの書き方とか斎藤耕一さんとやって行こうと思ったんだね。ちょうど、ぼくがピークのときにめまい≠チていう辺見マリさんの歌謡映画がありまして、斎藤さんに「次、キミとやりたい」って云われててね。ぼくは役者でやる気はなかったんだけど。だから約束≠フ話がきて、ともかく役者をやれるということより、ぼくは映画が好きだったんで、やる気になったんだよ。
 テンプターズ結成、解散、PYG結成、解散とあって、自分自身が、ある種、挫折感に入ってたし。人前で、朝早く粉ハタかれてキンキラキンキラしたシャツ着せられて、ライトを浴びる―男の仕事じゃないと思ったなあ(笑)こんなとこ、故郷のお袋に見せられるもんじゃねえなって。ともかく男の仕事じゃない。こういう世界から足洗おうとも思ったね。だから助監になろうと思った。22歳のガキだったから、映画にスキが見えたんだな、入っていけるという。入って裏方の作業してね、もし自分に才能があれば監督にもなれるかもしれないという。いま?監督ね?(笑)恐れ多くて云えないけど、やりたいという気はある。
 歌と役者というのをさ、あの時期に両立させるというのは無理だね。両立させるというのが日本のエンターテインメントなのかもしれないけど・・・・・・どうも俺はエンターテインメントに徹しきれないとこがあるんだな。
 役者さんのある人は非常にテレ屋さんですねって云っても、逢ったときはそうだったかもしれないけど・・・・・・。芸人達は昔のことをこう云われて、いまのことは伝えにくいからね。仕事の上で証明しないとね。
 体力作り?―散歩。とくにしてない。うーん、撮影なんかでアスレチック行ったりすることはあるけど・・・・・・散歩だね。家のまわり2キロくらい、ただ歩く。病気もしないしね。精神力じゃない?風邪ひかないね。そういう意味で健康。ときどき、ここ(頭)が不健康になるけどね(笑)。
 今度のLP?どうかね、自分達ではいいと思ってるけどね。別に意識はしてないけどね―ロックとか歌謡曲とかね。前、こういうのが受けたから、また、こういうのやろうというやり方もあるけど・・・・・・どんどん変ってきて、その時、その時をやるってやり方もあるわけだよ。どうも俺、そっちの方みたいね。
 とくに凝ってる音楽というのは、ない!ジャズも聴くしロックも聴くし、ただ、よりリラックスした、そういうレコードを好むね、聴いててね。前から聴く方だよ。それが人によって勉強してると云う人もいるし、あいつは、音楽が好きなんだという声も聞くし(笑)ディラン(日本公演)行ったよ。初日と最終日二回。賛否両論だったけど、凄いよ、とにかく。あの人、お金儲けだと思ったけど、違うよ、良かったよ、うまいもん。
 俺は、自分でもうまいなあと思ったことはないよ、芝居も唄も―ただ、いい感じだなと思うことが、たまーにあるよ。
 いままで出た作品でどれがいいって云われても、ひとつひとつがね・・・・・・あのシーンが良かったというのはあるけど、ひとつの作品でこれがいいというのはまだないよ。演技の計算?そういうのは・・・・・・いろいろリハーサル中に試して・・・・・・だけど、その試し方がゆるくやらないで、ハナから飛ばして、三パターンくらいやって監督が選んでくれる場合もあるし、自分でいいなと思ってやる場合もある。ただ、そういうことばかり考えていると、ストーリー性のディテールが問題になったりとかあるから、そればかりじゃいけないと思うね。
 共演者というのは・・・・・・。よいコンビネーションを組む場合、そりゃバイブレーションがあった人の方がいいけどね。当節、テレビというものがあって、うまくスケジュールとかが合わないという―それが監督さんの悩みなのだろうけど。それと、ぼく自身にも云えるけど、最近は役者自身が自分を過大評価し過ぎる。偉い監督さんと話していても、コッケイに見える、役者さんというよりタレントさんが多いね。いや、過大評価というのはさ、自分が思っているほど、他人はそう思ってないのにという意味よ。俺自身にも数年間あったかもしれない(笑)
 岸恵子さん(約束≠ナ共演)は一所懸命なんだね。一所懸命でもさ、自分の顔とか洋服ばっかりに一所懸命な人がいるけど、そういうのはやだな。
 渥美清さん(八つ墓村≠ナ共演)は好きですねぇ。寅さんばっかりというのはもったいないねぇ。もっとやらしてやりたいねぇ。
 約束≠フ芝居は確かに、その年齢の地と云われるかもしれない。だから、いまの年齢で約束≠ェ出来ないかと云われると、それは見方の間違いで、出来ないと云えば出来ないし・・・・・・。精神力というのかな・・・・・・。あれは22歳の青年がやったんで、離婚して子供が一人いる男がやったら違うもんになるでしょう。あれは22歳でやった、いちばんいいものじゃないかな。
 ただ役者が、自分で自分のイメージを決めちゃうのは悪いみたいね。監督も役者も、どんな写真でも、ヤル気の問題で、双方歩みよりじゃないかと思うんだよ。テレビで訓練されちゃってるんで監督が云わなくても役者の方でイメージ決めてやってきちゃったり。俺、こう使いたいんだけど、あいつが勝手にきめてきちゃって・・・・・・お前もそういう傾向あるけどって、よく監督が云ってるよ(笑)。
 俺、ブニュエルみたいのが好きなんだよ。他にって云われると、黒沢明。白痴≠熏Dきだな。やっぱり、白痴≠サれから生きものの記録∞天国と地獄∞七人の侍=\そのあたりが、いちばん好きだな。蜘蛛の巣城≠烽「いな。赤ひげ≠烽「いな(笑)。あの人のものなら全部いいよ。ドラマが統一されてるね。マーロン・ブランドのああいうシーンが良かったみたいのはないかもしれないけど・・・・・・。映画の嘘を芸術にしたのは黒沢さんくらいしかいないんじゃないかな。そりゃ、あの人の作品に出たいよ。俺だけじゃなくて日本の俳優全員、思ってるよ。できることならって、マーロン・ブランドも、ローレンス・オリヴィエもそう思ってるかもしれないよ。
 黒沢さんみたいな精神の人が、何人、日本にいるかだね。違うジャンルの監督が、もちろん、いていいとは思うけどね。それとさ、欧米文化を取り入れたり与えられて来たわけだけど、そろそろ東洋の文化を、映画か音楽かわからないけど、やらなくちゃという・・・・・・西洋人が待ってると思うんだ。頑張らなくちゃいけないね。日本人というのはセンスはいいんだよ。日本人のシャイさを忘れてるんじゃないかね。もっといろんな種類の映画があっていいと思う。そうすると悪口も聞かなくなるんじゃないかなあ。種類が少なすぎるんだよね。寅さんも好きだけど、寅さんだけでなく他のジャンルもあっていいと思う。
 確かに、いまの映画作りは、いろんな問題をふくんでると思うよ。でも、もらった時間を、いかに大事にして行くかということしか考えられない。引き受けた以上、なんて云うのかな、一緒に恥かくとか。あれは監督が悪い、共演者が悪い、スタッフが悪いって云ってられないな。ひとつのものを作り上げるということは、馬鹿馬鹿しいことかもしれないけど、そういうもんだと思うね。緊張するからね。ただそういう緊張感を続けてくれるコーチみたいな人が最近いないだけでしょう。
 股旅≠ヘ、ぼく自身は嫌いじゃないですよ。市川崑さんも頑張ったと思うしね。役者も監督もそうだけど、いいときの自分は忘れないもんなんだよ。最終的に云えば精神力のエネルギーだと思うんだよ。そういう意味じゃ能書きばっかり云う若僧よりも、ATGの少ない金額でやる巨匠は凄いんじゃないの。“股旅≠ンたいなのがあったから、いまだにメージャー会社で、作品撮っていけるんじゃないのかなあ。
 うん、マーロン・ブランド好きだね。やっぱ凄いんじゃないの。凄いよ。他には、テレンス・スタンプ、ドナルド・サザーランド、それに60年代に死んだチブルスキー、あれもいいね。うん、ジェームス・ディーン、あいつはやっぱりスーパーだな。
 映画は、いろんなの観るよ。いろんなの観るけど、最終的に印象に残るのは、やっぱりそいつらの作品であり―ブニュエルしかり、黒沢さんしかり、フェリーニ、キューブリック、そいつらの作品ってどうしても観ちゃうね。


 


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